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極めて順調に回復

賀春 ことしはいい年にしたいと願いながら大阪へ。6日近大でCTを撮影、主治医の診断では「極めて順調に回復している」そうです。腫瘍マーカーも一部、正常になりました。追い打ちをかけるように2月上旬、再手術を決めました。ぼくの肝臓ガンは転位がない(肝臓内に留まっている)だけにそこに生じているガン細胞を抑え込んでいれば共生が可能と考えています。昨秋11月27日に行った塞栓手術後、術後管理も万全で炎症反応も次第に収まり13日間の入院で退院できました。

以降、体力も気力も回復、年末年始はどっさり買い込んだ様々な肴で楽しみました。今朝計った体重は53キロに回復、便も順調でぐっすり眠れます。2月の再手術が成功すればかなり正常に近くなるはず。期待に胸が膨れます。大阪からの帰途、名古屋で途中下車。テレビの著名なキャスターを長くやった記者の先輩に久しぶりにお会いし会食。LA時代の話など楽しかった。

体調回復、ほぼ日常生活復帰

塞栓手術を受け、術後管理も万全で12月9日、無事、退院できた。体重はついに50キロを切り49.7キロまで痩せた。朝、顔を洗い、手ぬぐいで顔を拭うとまるで骸骨を拭いているような感触だ。でも体調は順調に回復している。今朝12月20日は51.8キロまで回復していた。

退院する時、着てきたウインドウ・ブレーカーを新幹線の棚に忘れ、寒さを防ぐ方途を失った。と、若い担当医師が黒いガウンを持ってきてくれた。サイズが合わないから着て行っていい、という。恐縮した。ホームで電車待ちの時、役立った。それから前回、病院食を「患者の餌」と失礼なことを書いてしまったが、申し訳ない。賄いさんが気を使ってくれていることを敢えて書き加えたい。

12月7日、大雪の日、手書き、イラスト入りのメッセージでご馳走を出してくれた。<12月7日は『大雪』といい、日に日に寒さが増し、山岳だけでなく、平野にも雪が降る寒い時期のことをいいます。全国的に冬一色になり、様々な動物が冬眠に入るのもこの頃と言われています。大阪では、雪が積もることは滅多にありませんが、子供のころに雪が降ると嬉しくて、雪空の下で遊んだことを思い出します。現在では積雪による交通被害に悩まされることもありますが、雪が降ると本格的な冬の到来を実感いたします>というメッセージ。以下、食べ物のひとつ大根の栄養について解説。(栄養部からのメッセージ)

嬉しくなってご紹介した。確かに病院食は味気ないが、作る方はご苦労を重ねていることがよく理解できる。「餌」なんて言ってゴメンナサイ。

体力は回復気味、食事も通常のように食べている。味も分かる。新年6日、CTを撮るのが楽しみだ。それにしても「令和元年」はぼくにとって最悪の年となった。

塞栓手術の術後管理

 はっきり言ってしまえば自分の無知を知らされた。11月26日、予定通り大阪の近畿大学病院に入院した。翌27日午後1時30分、TACE(塞栓療法)を開始。右鼠径部の大動脈に局地麻酔を実施した上、切開。開けた穴から細いカテーテルを挿入、大動脈の内部を傷つけないよう細心の注意を払ってゆっくり遡上。カテーテルは肝臓に達し、肝動脈からがん細胞に接近した。2年前、湘南東部総合病院で末期ガンの緊急対応として初めて受けた。この手術はガン治療の一方式として広く行われている。

 大きくなった末期ガンを殺すには有効だが、手術が成功しても一定の期間が過ぎるとまたガンが確認され、数度実施すると今度は肝臓本体を傷めてしまい肝機能が低下し、死に至る。あくまで緊急処置の一つとして実施されるが、完治は難しい。茅ヶ崎ではモニターが手術台から見ることができたが、今回はモニターの位置が足元にあって見ることはできなかった。手術はぴったり1時間半、午後3時に終わった。 切り開いた血管の穴はごく小さいので穴が塞がるのには一晩あればいい。3,4、日で退院できると簡単に考えていた。

 これがぼくの無知の誤り。血管を塞ぐ、といっても体内最大の臓器である肝臓の動脈を封鎖したのである。ガン細胞は血液が来なくなり栄養が届かないからガン細胞は餓死の状態で壊死(えし)する。医師たちがこの手術を通称”兵糧攻め”と呼ぶ所以だ。こちろん肝臓の臓器内部での葛藤は必然ある。その部分が炎症し悪化すると膿むケースもある。毎日、抗菌剤や肝機能を損なわない薬を点滴で体内へ注ぎ入れ、採血し、血液から体内の状況を監視する。データはすぐ出てくる。

 12月に予定の会合に出られなくなり、簡単には退院できないことが分かった。12月3日、担当の医師がぼくのベッドにやって来て、体内の状況を説明してくれた。炎症反応は次第に小さくなっている。腎機能も衰えていない。黄疸、白血球数など全て良好である。肝機能の低下が見られ、それを回復するため薬を飲む。点滴を続ける。ほぼ想定通りの進行で、術後管理は問題ないという。

 病院生活は快適とは言えないが、大きな問題はない。ただ、今回は初めて6人部屋のベッドだったので、ちょっと窮屈。病院食はまさに患者に与える「餌」である。とくに朝はコッペパン2個に小さな牛乳。オレンジの2切れとか、生野菜を酢で和えたものだけ。これには参ったが、文句は言えない。ただひたすら食べている。

1階のコンビニで宮部みゆきの小説を買い、読んだ。江戸時代、孤児や親に棄てられた子ども5人が何者かに毒殺される。「令和元年」と政府やメディアはお祝いムードを演出したが、江戸時代となんら変わらない。子殺し、幼児虐待のニュースが目立った。なんともやるせない時代状況だ。これが安倍首相のめざす「美しい日本」なのか。

二度目の”兵糧攻め”成功

3年前、サイゴンのホテルで飲んだ時はまったく予期できない事態でしたが、2年間も大阪へ新幹線通院”を続けてきました。ことし8月、その治験治療も終わりを告げ、次の一手として昨11月27日、二度目の”兵糧攻め”手術をやっていただきました。正しくはTACE(肝動脈化学塞栓療法)という手術です。最初は茅ヶ崎市の総合病院で受けました。昨日とは微妙にちょっと違っていたのもおもしろい経験でした。

右鼠径部の大動脈に穴を開け、カテーテルを差し込んで肝臓まで接近、ガンに直接、化学薬品を噴射、血管を塞ぐ、という手術です。これをやると血液と栄養がガン細胞に届かなくなるので、ガン細胞は壊死します。


手術は上手くいったようです。予後の出血や痛みもありません。今朝の検査結果では「炎症反応の上昇なし」、「肝酵素は処置後の範囲内」、「貧血進行なし」と術後の結果、手術は成功したようです。明後日30日に退院できると思います。
もっとも予後の検査で大阪通いは続くかもしれません。この手術は20年ほど前から開発された技術で、大きなガンを封鎖するには有効ですが、多発しているガンが全て無くなるわけではありません。中にはガンが消えたケースもあります。
まあ、あんまり欲張らず、自分のペースで「死ぬまで生きる」、というのがぼくのスタンスです。多くの方々に温かい支援、激励のお言葉をいただき深謝です。

ガンとの共生は当分、続きます。ニューヨーク在の娘が一時帰国したので手術の2日前、25日家族全員で会食しました。妻も長男の嫁も「美味しい」を連発、久しぶりの家族の団らんを楽しんでいました。居酒屋の女将さん、ありがとうございました。

TACE(塞栓療法)今がチャンス

11月6日朝、大阪・淀屋橋のビジネス・ホテルを出てなんば(難波)へ向かう。地下鉄の乗客にぼつぼつマフラー姿の若い女の子、冬が近づいているのを実感する。なんばで南海電車に乗り換えさらに高野山方向へ南下する。近大病院は金剛という急行停止駅からさらにバスで25分の新興住宅街の丘の上に聳え立つ。巨大な医療コンプレックスだ。

いつもの通り診察カードを機械に突っ込みその日の患者登録。採尿、採血を終え、CT撮影室の前の椅子で呼ばれるのを待つ。2年近く通っているから病院内も慣れている。相変わらず患者と付き添いで溢れている。いうまでもなく高齢者が多い。それだけに白衣の医師や看護師、検査技師らは若く、眩しく溌剌と見える。

この日、大きな転換があった。治験の部屋で待ての指示。5時過ぎ、主治医の工藤教授がやってきた。
前回書いたように今は「レンビマ」という抗がん剤を飲んでいるが、治験のとき受けた免疫療法の薬効が6か月くらい体内で効いている間にTACE(塞栓療法)という手術をするとガン細胞を抑えることができるそうだ。この治療法を医師連中は「兵糧攻め」と呼んでいる。手術と言っても局部麻酔で右鼠径部の大動脈に穴を開け、細いカテーテルを肝臓まで差し込み、ガン細胞にピンポイントで抗ガン剤を吹きかけ、血管を塞ぐというもの。血液と栄養が止められるのでガン細胞は大きくなれない。この術式でガン細胞が消えることも報告されている。
これはこのブログの初期に書いたから記憶している読者もいると思う。ガンが発見された時、すぐ茅ヶ崎市の病院で受けた手術だ。だから今回は二度目になる。ほぼ20年と歴史あるガン治療だが、取りあえず大きなガン細胞をこれで抑え込み、上手くいけばガン細胞を死滅させることもできた症例もある。工藤教授は「レンビマ」を飲んでいる間にこの手術をすると効果が大きいと説明した。
世界の最先端をゆく肝臓ガンの専門医学者で、毎回、彼の論文が発表されると世界中でガン医療者が注目する。翌日、朝からチューリッヒに飛び数日滞在、帰途、バンコックに立ち寄り、日本に戻ってから再びチューリッヒへ飛ぶというスケジュールだそうだ。これでは医者の不養生の典型ではないか。

TACEは早くやった方がいいのだが、教授ご本人が立ち会いたい、とおっしゃって、彼が空く27日が最短で、この日を手術日と決めた。予定していたスケジュールをすべてキャンセルして26日に入院することになった。27日にTACEを受け、月末か12月初めには退院できると思う。今回の処置を唐突と感じた方々も多いと思うが、ぼくは以前、工藤教授からこのアプローチを聞いていた。「今がチャンス」というのが工藤教授の説明でした。

ガン治療の方法は多種あり、今は工藤教授にお任せするしかないと思っている。上手くゆけば12月上旬には普段の生活に戻れると思う。
ガンの研究、臨床では医学界は免疫療法をいったん諦めたのですが、ノーベル賞を受賞した本庶佑・京大名誉教授が1992年に偶然、発見した「PD-1」という物質で、免疫療法がガン医学の世界で息を吹き返している。話題となった小野薬品が開発した免疫チェックポイント阻害剤「オプジーボ」がそうだ。

同様の免疫療法だけでアメリカのNIH( 米国立衛生研究所) は1000件の治験の術例が報告されていると本庶博士は書いている。(本庶佑著『がん免疫影療法とは何か』岩波新書)

ぼくはガン患者になってみてようやく少し「ガン細胞」という厄介な腫瘍(デキモノ)が分かりかけてきた気がする。同時に少し分かればわかるほどガンの正体、本質は分からなくなるのも事実。ガンは人間という「生物の不思議」を実現している細胞と言える。

分子標的薬を替え副作用つづく

治験治療を終えて、分子標的薬を「レンビマ」に変えた。厚労省が認めた抗がん剤だ。過去、点滴で「アベルマブ」という免疫ポイント阻害剤(厚労省未公認、治験中)を点滴で体内に入れ、分子標的薬と併用投与することでガンの増殖を抑えようとする新しい試みだ。実際、ステージ4と言われたぼくが未だ生きているのだから「効果」はあったのだろう。
しかしガンは薬に対し「耐性」ができてくる。ガンが抗がん剤に慣れて効かなくなるのである。ぼくのガンにもそれが確認できた。
で、8月治験を終了したが、抗がん剤を「レンビマ」に切り替え、飲み続けて様子を見ようということになった。レンビマは副作用が意外と厳しく、夏の暑さもあったのか下痢が激しく、食欲が全くない。胃は空っぽで空腹なのは自覚できるがそれでも食べられない。当然、痩せてゆく。ついに50キロに至った。治験開始前62キロあったのだからもうがりがりだ。
11月6日、近大病院でCTを撮影するが、ガンが小さくなっていたらTACE(塞栓療法法)という簡単な手術をやるかもしれない。かなり治った例があるそうだ。

台風19号襲来、誰も声ナシ

10月12日、土曜日。静岡市で予定していたジャーナリストの勉強会も13日の小田原寺子屋の講義も島田大祭もすべて台風19号の襲来で延期となった。NHKテレビで刻々、報じられる台風の予想進路、備える各地の準備状況、個人への注意呼びかけ・・・。本格的な首都圏襲来は午後8時すぎ。その前に息子から電話があって、江東区は荒川が氾濫したら低地が水没する。早めに重要な書類など持って母親のマンションに一家で非難する、お父さんんも独りだと何かがあると危ないので一緒に行かないか、とのお誘い。ぼくは鉄筋のマンションの5階だから大丈夫だろう、とお誘いを断った。

18時22分、家具が揺れる地震があった。震度3くらい。その後、次第に台風が首都圏に接近しつつあるのが雰囲気で分かる。その間、映画「釣りバカ日誌」をテレビで観ていた。三国連太郎と西田敏行、石田ゆり、谷啓ら芸達者な役者で盛り上げている。この前まで渥美清の「男はつらいよ」を放送していた。ストーリーは馬鹿げているけど会話に人情味があって面白い。たしかにぼくの子供のころはこの映画のようなシーンと実生活があちこちで見られた。

20時が過ぎたあたりから風が強くなってきた。「ごおっ~」という暴風の凄い迫力の音、「バリバリ」という音。マンションが揺れた。ガラス戸に大粒の雨が吹き付けられる。高校時代に被災した伊勢湾台風の体験を想い出した。60年前、ぼくは高校3年生だった。その夜、実父も兄も帰ってこなかった。国鉄(現、JR)も近鉄も不通となっていたので帰れなかったのである。11歳だった小学生の弟は何の当てにもならないし、あとの家族はおふくろと姉、お祖母さんと女性ばかり。床下にごうっと水が入り込み裏庭へ流れ出た時は逃げよう、かと思った。台風史上最大の5,098人の犠牲者を出した。

約2時間半、荒れ狂う雨台風が首都圏でとぐろを巻いていた。11時ちかくなってすこし強風が和らいだ。『眠っているがんを起こしてはいけない。』(飛鳥新社)という近藤誠博士の書を読む。反抗ガン剤の論客だ。それなりに納得できる論文だが、抗ガン剤を「毒」と言い切る勇気には敬意を表する反面、全的に賛成というにはぼく自身、判断できる知識が無い。戸惑いを覚えるのもぼくのホンネ。抗がん剤の副作用を実感しながらなんとか「食べよう」と映画見ながら食べた。

体力減退、ガンは抑え込む

9月24日予定通り近大でCT撮影。血液検査の結果、ガンマーカーはHS-PIVKAが40、AFPが10、AFP-L3が10、と小さく抑え込んでいる。肝心のCT撮影の映像結果、ガン細胞は小さくなっている。多忙を極める主治医が午後6時40分すぎから病院の重要な会議の合間を縫って診察に応じて下さった。「検査結果は良好」と言われたが副作用は厳しく体力減退、下痢止めを3種配布され、毎回の食事ごとに飲むよう指示された。他に降血圧剤2種。夜8時過ぎ淀屋橋のホテルにチェックインしたが、総体評価は「良」と見るべきなのだろう。翌朝、東京へ戻ったが体力の消耗激しく、自宅で安静。

28日静岡駅近くの徳川慶喜屋敷跡でS市長の誘いに応じ現地の社会部記者と3人で会食。S市長はど素人の主婦だったが保守の分裂を機に市民に推され初当選、二期目は挑戦者をダブルスコアで退け再選、今は脂に乗りきっている女性政治家。実によく勉強している。ぼくは外国人でやる気のある若者をインターンに採用し勉強させるといいと提言して別れ、そのまま帰京した。現在の体調は決して良くない。前回、書いた象の死についてのコラム「時評」が『静岡新聞』9月26日付に掲載された。30日は高校の同窓の仲間の例会。みんな優秀で元気だ。

なぜ象は死んだのか

今夏のお盆は異常に上昇する熱気に煽られ、連日気温は35度を超えた。熱中症で死者が出ている。ぼくは今までの抗ガン剤と別の分子標的薬「レンビマ」を飲み始めた。副作用は軽い、と主治医は言ったが、実際には激しい下痢に見舞われた。何を食べても飲んでもすぐ下す。食欲無く食べる物がない。脱水症状を恐れて水を飲んだらそれも下した。身体が痩せ体力が衰えるのが実感できる。そんな中で身体を引きづるように上野動物園に行った。

静岡から友人の一家がパンダを見に来たので、小さい子らに会いたくて無理に足を運んだのである。上野動物園の動物慰霊碑は正面入り口に近い象舎の脇にある。男2、女1計3人の子供と友人夫妻の5人でニコニコ笑顔で待っていてくれた。明るい平安な一家だった。半世紀前、札幌の記者時代、一家で小樽の海岸に海水浴に行ったことを想い出した。

慰霊碑には”戦争の犠牲で”死んだ動物もいる、ことが表示されていた。1943(昭和18)年、大達茂雄東京都長官(現在の知事)は猛獣の殺処分を指示した。米軍の本土空襲で獣舎が壊されたら猛獣が街に逃げ出し住民に危害を与えることを懼れたのである。この猛獣処分は他の動物園でも行われた。

日頃、可愛がっていたライオンやトラ、豹、ニシキヘビなどが銃殺、毒殺、絞殺された。飼育係たちの無念の哀しみを思う。なぜか象だけは決して毒入りの餌を食べなかったそうだ。毒入りの餌を象舎に持ち込んだとき、象はじっと飼育係を見つめた。与えようとした毒入り餌は食べず投げ返したという。どうして象が分かったのか今も謎だ。そして・・・象は餓死した。

この話、吉村昭が短篇『動物園』で抑制の効いた文章で淡々と書いている。飼育係の回想録もあるようだ。戦争の残酷な一場面だが、ぼくは令和の平和な家族一家の笑いとともに慰霊碑を沈んだ気分で眺めた。

心配してくれる仲間たち

治験治療の終了で、抗ガン剤が変わった。飲み始めたのは「レンビマ」という厚労省が認可した分子標的薬。工藤正俊教授は朝日新聞が詳報したが、肝臓ガンの治験でいい結果を出している。ぼくの場合も効果を期待したいのだが・・・。9月下旬、CTを撮って様子が分かると思う。ガンマーカーはあまりあてにならないそうだ。

「レンビマ」は副作用も少ない、というのだが、ぼくの胃腸は復調したとは言えない。暑さが山を越えたらしい。酷暑は終わったにしても衰弱しきった体力をどう回復させるか。無理してでも食べるしかない。

連日のニュースは激化する日韓対立と香港の対北京抵抗運動。いずれも強権発動になりかねない危険な状態が続いている。朝鮮半島問題と生涯取り組んできた通信社のH君と話した。毎夜のようにテレビ出演し、語っているが、ぼくがもっとも信用している朝鮮半島の専門家だ。人柄がいいし真面目。彼が早稲田の学生時代からの付き合いである。電話で話しているうち近く会おう、という事になった。木場を訪ねてくれるそうだ。持つべきものは友である。

久しぶりに市民運動の全国的連携のつなぎ役をやっている九州大学のA教授が上京したので新橋で会った。彼はアメリカへ留学した際、知り合ったのだがNPO運動を研究している。法政大学でキャリア・パスを講義していたK教授から電話を貰った。香港と隣接する中国の深圳が凄いことになっているそうだ。中国のシリコンバレーと言われ、人口は東京の首都圏並みに膨れ上がっているという。

最近、S会館の理事長になった慶応大学教授から手紙が届き、理事長就任を知ったのだが、若いころから消費者運動について関わってきた彼が伝統の消費者運動NPOを経営するする立場となった。面白い。京都在住の大宅賞受賞作家・G君が上京するとのメールで仲良しのノンフィクション作家やジャーナリストで昼食会を準備した。みな優秀で真面目、それぞれビッグネームだが、気さくで威張らない。党派性の無いリベラルなジャーナリスト仲間である。彼らがぼくの健康を心配してくれるのが嬉しい。

北岡和義事務所

東京都在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

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