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野茂英雄とオマリー氏

50年前の話である。読売の2年後輩の記者からメールを貰った。山形県出身で青山大学を出て読売に入社した記者である。札幌にいたぼくらは東京から巨人軍の選手が来るシーズンが楽しみだった。以下はメール本文。

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おはようございます。昼は暑くなるという予報ですが、いまのところ心地よい初夏の風が入ってきます。
紹介していただいた北岡さんのKITAOKA PRESS NETを初めて読みました。前にも北岡さんからいただいたハガキにはホームページへの案内もあったのかもしれませんが、読むのは初めてです。
「時評」の野茂英雄の記事を興味深く読みました。小生は野茂選手というのが大好きです。北岡さんご指摘の「無愛想」、あれがいい。
記事中に登場したオマリーさん(ピーター・オマリー、ドジャーズ球団オーナー)を懐かしく思い出しました。1966年の秋でしたね。父ウォルターの跡継ぎとしてドジャースを率いて札幌球場に来ました。当時の渡辺文太郎支社長から、「お前は青山で英語をやっていたそうだから一緒に来て通訳をやれ」と言われ、伊藤栄三キャップの許しを得て千歳空港まで迎えに行きました。川上、長嶋、王らという巨人の選手、ドジャースの選手らとともに降り立ったオマリーは、まだ20代の若さで、ちょっとマクナマラーと似た髪型と風貌をしていたことを思い出します。
夜は夜で、宮ノ森の料亭でレセプションがあり、お伴しました。刺身のさかなや貝のことを聞かれ、一般の会話に比べてそういう英語の知識はなく苦労しました。ちょうどこの時、青山時代の女の子が札幌へ訪ねて来ていたのですが、支社長はこのことを知っており、宴会は野球拳などに盛り上がり、通訳が不要になった段階で、「お前はもういいから帰れ。東京から女が来ているそうだな、車を自由に使っていいからどこへでも行ってこい」と言われました。そのオペルの運転手が辻さんで、まいってしまいました。彼女を拾って夜のすすき野へ行き、「支社長に言われているから待っている」という辻さんを無理に帰ってもらったのを覚えています。
彼女が、寮に泊めてくれだの、どこへでも連れてってなどと言われ閉口しました。これまた無理矢理パークホテルまで送ったのも、いま思えば自分自身子供だったのだと苦笑いしてしまいます。彼女にドジャース戦の切符をやり、トンペイ回りの途中に円山球場をのぞいたら、朝日で一期先輩だった会田さんの彼女と一緒に並んで観戦していたのには参りました──。あとで朝日の武内さんらから大いにからかわれたものです。

北岡さんがホームページで書いている、「ジャーナリストのネットワーク」にはもっとも縁遠いダメな元記者には、せめてこんな思い出話しかお送りできず申し訳ありません。きのう、Yさんからハガキの返事がありました。彼も文化部記者として立派な記事を書き続けた方です。北岡さんの闘いに「何もできない歯がゆさ」を書いていました。
小生、トンペイ回りで活躍なさっていた、情熱的で、飄々とした北岡さんのことしか知りません。何事にもがたがたしないで飄々といろんなことに対処できる北岡さんであることを信じています。

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ぼくが札幌で記者をやっていたころ新人は「トンペイ回り」と呼んで、朝から晩まで警察署に張り付いていた。事件記者とも呼んでいた。白石の牛乳店主殺しや不動産会社社長の誘拐事件など大きな事件が相次いだ。

記者として最大のニュースは札幌医大の和田心臓移植である。ぼくは教育と大学担当で札幌医大病院2階の会議室が臨時のプレスセンタ―となり、泊まり込んで取材した。

彼がここで書いているピーター・オマリー、ドジャーズ球団オーナーはLAで何度もお会いした。オマリーさんのオーナーズ・ブースで野茂の好投をワイン付きで見せてもらったことがある。大リーグ、メジャー戦で初勝利した時だった。

ゲストを気遣う心優しいオーナーで、かれの部屋で野茂の写真などを見せてもらった。野茂はメディアに阿らない無口で毅然たる野球人で大活躍、松井秀喜やイチローらのメジャー入りの嚆矢となった。後日、野茂に偶然、LAX(LA空港)で会った時、上背のある背の高い選手であることに驚いた。


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北岡和義事務所

神奈川県茅ケ崎市在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

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