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治験治療終了、分子標的薬替え新展開へ

8月28日、ぼくの肝臓ガンの治験治療はピリオドを打った。2018年2月14日、近畿大学病院泌尿器内科の工藤正俊教授の指揮下で始まった治験治療だが、隔週で東京(当初は茅ヶ崎市)から大阪へ通院を続けた。毎回、新幹線の車内で情けない気持ちを抑えきれない。人間は想定外の事件、事項にぶつかるというが、ガンこそぼくに想定外の、何一つ考えていなかった一大事件だ。しかも10人いた(同じ条件下の)治験患者で最後まで残ったのがぼくだった。もちろん「ガンが消えた」のではない。むしろ6月、新しいガンが見つかり、さて、これをどうするか、という課題にぶち当たった、というのが正直な現実です。「ガンとの共生」を主張してきたぼくの新たな挑戦が始まるとも言えます。別に喜んでもいないが、気落ちもしていません。

治験開始当初、その効果が劇的にあったのは間違いない。「余命3~6か月」と宣告されたのにぼくは今も生きている。分子標的薬という抗ガン剤を朝晩飲み、隔週で近大に通い、免疫強化の点滴を打つというガン治療では画期的と言われたダブルでの治験治療だった。最初の数か月は驚くべき効果があり、「記録破りだよ」と工藤教授を驚かせたが、去年夏以降は下降線をたどった一方だったガン・マーカーの数値はなぜか低位、横這いが続いた。

しかし抗がん剤の副作用のため食欲が落ち、食べる物が美味しくない。体力の衰弱が自分でも分かる。副作用がきつくなると一時、休薬を願い出た。ことし4月、再び休薬し2か月休んだ間にガンマーカーは維持できたが、CT撮影で新しいガンが見つかったのです。これに対するこれまでの抗がん剤は復薬しても効果無く、工藤教授は治験治療の終了を告げたのです。治ったわけでなく悪化したのでもないが、なんとも後味の悪い治験終了だった。あっけなく終わった。この2年半とは何だったのか。(生きているからいいいじゃん、と言う声も聞こえる)

今後は抗がん剤を替え、別の抗ガン剤で免疫強化の点滴の効果があるうち(約6か月)に別の分子標的薬を飲むことになった。変わったことと言えば免疫強化の点滴が無くなり、近大通院も1か月に1回と減ったこと。工藤教授の話では抗ガン剤に耐性ができたためで抗がん剤を変えることで効果は期待できる、という経験上の判断でした。

暑かったお盆に下痢が次第に悪化、19日頃からさらに激しくなり22日ついに茅ヶ崎市の湘南東部総合病院に緊急入院、5日間寝たっきり24時間栄養点滴を受けながら美味しくない病院食を美味しいと無理に考えて食べ、ようやく下痢は収まった。副作用は下痢のほかノドが擦れ、皮膚上に妙な斑点が浮き出て少し痒い。一時は話すのもシンドイ状態でした。今はかなり回復しなんとか大阪まで行くことができた。そして・・・「治験終了」を告げられたのである。次回は1か月後、9月下旬に近大でCTを撮り、新たに取り換えた分子標的薬の効果を見ることになった。治験は終わったが、近大の工藤教授の治療は続く。ぼくは教授の指示に従うだけである。現在、肝臓ガンの研究でもっとも高い評価と実績を上げている医学者である。ぼくの友人、故柳原和子の最期の主治医でもあった。亡くなる直前、(喧嘩したらしい)主治医が変わったけど。

緊急入院に際しては湘南東部総合病院の市田隆文院長にお世話になった。気さくで酒好き、日本ペンクラブ会員と言う文人派で、肝臓ガンの臨床例は数えられないほど扱った。日本の肝臓ガンの世界では高い技術力がある。分厚い専門誌『肝胆膵』の編集長をしているから最先端情報を居ながらにして入手できる立場にある。しかもぼくのLAで出会った親友、岩城裕一博士(南カリフォルニア大学組織免疫研究所長、サンディエゴ在)とはピッツバーグ大留学時代の教え子にあたる。

市田院長はぼくがかけた緊急のSOS電話にすぐ対応してくださり、個室ベッドを用意してくださった。感謝している。医師、看護師や検査技師、CT撮影技師ら病院のスタッフはみんな若い。明るく親切で、半世紀前の大病院とは大違いの雰囲気である。でもガンは治らない。「ガンを治す」と言い切る医師はいないと思う。


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北岡和義事務所

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