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方丈記

ぼくは「ガン共生の人間学」を『週刊ニューヨーク』紙に連載してきたが、ガンという病気にかかって確かに死生観が変わった。「死」は「生」なる者が近づいてゆく、のではなく、「死」の方から突然、やって来るものだという当然の事実。それが健康な人にはなかなか分からない。

ガンは「死に至る病」であり、昔、ガン腫瘍が発見されると医師は決して患者に真実を話さなかった。家族にだってウソを告げた。池田勇人首相が喉頭ガンだったことは死ぬまで伏せられた。記者会見で主治医は「前ガン症状」という実際にはあり得ない非医学的表現で「ガン」を否定した。

近年、生命科学者や医学者、臨床医の必死の努力と研究でガンになってもかなり延命させることができるようになった。

今ではガン告知が当たり前になっている。過去30年間にガン治療は大きく進歩し、抗ガン剤も副作用の少ないものが患者に投与されている。

ぼくの場合、「治験治療」という特殊な医療環境でガン治療に当たってもらっているから医師や治験コーディネーターの管理は結構厳しいものがある。

もちろん患者はいつでも「治験」から離脱できる権利を持っているが、離脱しても実際にどうすればいいのか素人には不知である。ガンの知識が全くないのだから現実として病院を離れることはできない。

「(治験を止める)権利はあなたにありますからいつでもやめられますよ」と若い医師は言いながら一方で、「再発したらあなたの責任で処理しなさいよ」という暗黙の“脅し”が含まれている。再発したらガンの成長は早いという。そして「生命」が奪われる。

前回書いた、生物の遺伝子に「アポトーシス」という「死」のメッセージを発する遺伝子があり、生物の細胞は自死するのだが、遺伝子が傷つけられたか、何かの拍子に死の機能が働かなくなり、死すべき細胞が死ななくなる。それがガンだという。

だからアポトーシスの「死の機序」を解明できればガンは治る、はずだ。

東京理科大学でゲノム創薬を研究している田沼靖一博士の『遺伝子の夢』(NHKブックス)には冒頭、鴨長明の『方丈記』が登場する。

ゆくかわの流れは絶えずして、

しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、

かつ消え、かつむすびて、

久しくとどまりたるためしなし。

 

「鎌倉時代の初めに書かれた『方丈記』の出だしには、万物の無常をみごとに描き出されている」と田沼は書き、「この言葉は、鴨長明の人生観、宇宙観」そのものであると同時に、「生きる物はなぜ死ぬのだろうか」という原初的な問いでもある。科学者が文学的に生物の“無常”を生々しく実感しているのである。

ぼく自身、ガンになってようやくその「死の意味」の不可思議な現実に気づき、どうしようもない死の真実に慄くのだ。

「死」は「生」にとって絶対である。考えてみれば「ガン」はごく自然の死の現象の一つであり、死があって生がある、という真実にぼくらはどれほど現実感が持てるのだろうか。

われわれはうたかたのごとくはかなく生きている。だからこそ精一杯、前向きに仲良くガンと共生し、死ぬまで溌溂と生きようではないか。

「人間は一人ひとり、唯一無二の存在として限られた時間を生きています。そして齢を重ねることによって、自分のなかに時間と記憶を堆積し、思考と精神をとぎすますことができるのです。つまりアイデンティティ(identity、個別性→個性)を成熟させることができるということです。「老い」とは、このアイデンティティを追求し認識することではないでしょうか。(田沼靖一著『ヒトはどうして老いるのかー老化・寿命の科学』(ちくま新書)

ガンになり田沼の知遇を得た、というのもぼくの楽しみになっている。


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北岡和義事務所

神奈川県茅ケ崎市在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

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