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北海道の旅

制ガン治療は順調に進行している。、と言っても隔週で大阪の大学病院へ通院、血液検査や尿検査を受け、担当医(時に代診)の診察を受け、点滴を受けて帰るという生活である。結果はガン発見時に比べて飛躍的に良くなっている。本ブログでも何度も書いてきた。

7月18日定期診察を受けた。ガンの腫瘍マーカー3種のうち2種のマーカーが正常値に戻っていいる。抗ガン剤を2週間休んだが、その間もガンのマーカーの価は下がり続けている。主治医では過去に経験した患者の最良の数字だそうだ。抗ガン剤はとりあえず飲み続けけることにした。

このブログを書くのをサボっていたので、ちょっと後に戻って北海道の旅について書く。

7月6日、元朝日記者、植村隆君の名誉棄損裁判の最終弁論が札幌地裁で行われた。傍聴席は満員。ぼくは「植村隆君の裁判を支える市民の会」で特別枠を用意してくれたので傍聴席獲得のため並ぶことなく最前席で座れた。ジャーナリスト・桜井よし子が「朝日の植村隆記者が(従軍慰安婦の記事を)捏造した」と書いたことに対し、植村君が謝罪、訂正と名誉棄損の賠償を求めて訴えた裁判です。ぼくは「植村隆君を支援する市民の会」の呼びかけ人代表の一人で、最終弁論を傍聴したのです。

残念ながらこの弁論の日、植村君の実母が危篤と重なり、植村ご本人は弁論後、ただちに病室にかけつけ、かかりきりとなって言葉を交わすことができませんでした。彼は母子家庭で育ち、文字通り”母一人、子一人”の環境で育った。彼の心配は想像を超えるものがある。母上・西森芳恵さんは残念ながら肺ガン、多臓器不全で最終弁論の翌7日午後11時41分、宮森病院で亡くなりました。84歳でした。

考えてみれば最終弁論の日までよくがんばって支えてくださった、ということでもあろう。(合掌)植村君に弔意を伝えることもできず、申しわけない。

11月9日が裁判の判決日です。

裁判の前日5日、羽田から全日空機で函館に飛んだのですが、JR函館駅で「特急北斗」が豪雨のため運休とわかり、止む無くレンタカーして室蘭まで走りました。高速道路の一部に不通区間があり、一般国道5号線を走りました。しかも携帯電話を茅ヶ崎の自宅に忘れてきて、連絡の手段がなく焦りましたが、少しでも室蘭に近づこうとコンビニで買ったサンドウッチを食べながら走り、豊浦という町の道の駅で公衆電話をみつけ危うく室蘭工大のK教授と連絡がとれました。たっぷり4時間のドライブ、小雨が降る5号線を噴火湾を右手に眺めながら車を走らせた。この道を走るのも半世紀ぶりだ。

K教授夫妻と92歳のお父さんと登別温泉で一泊、ゆったりと温泉に浸かることができました。お父さんは優秀な息子が自慢で、いろいろ話し合った。耳はしっかりしていたが、足腰が立たない。ホテル内を車椅子で移動。温泉の湯に浸かり心地よさそうだった。

裁判が終わった翌7日、十勝の足寄向けドライヴ。以前、旭川回りで5時間はかかったはず。それが札幌から3時間で行けるようになったのです。日高山脈をトンネルで抜ける道が開通したからです。

緑の森を走り抜け、雄大な北海道の大自然を眺めて走り、長い長いトンネルを走り抜け、峠を越えました。知人の息子さんがハンドルを握ってぼくは助手席で窓外を見渡しながらのドライヴ、最高でした。この豪雨で西日本豪雨の被害が出始めたことを思うと北海道が災害地区からいかに遠いか、実感できました。

札幌で一泊、留寿都へ行き、知人の山寮で2泊。積丹半島の最先端、神居岬までドライヴ。食べたウニ・筋子丼は最高の北海道の味でした。抗がん剤を休んでいるので味覚が戻って来て、北海道の味を堪能できました。

北海道はインフラがしっかりしていてドライヴは最高。昔のクネクネした山道が今は無い。泊原発はゲイトしか見えず、隠れているように遠くに建物がちょっとだけ見えた。


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北岡和義事務所

神奈川県茅ケ崎市在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

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