ホーム » 未分類 » 児玉隆也の時代と

児玉隆也の時代と

駆け出し記者だった札幌のころ同年だった友人からメールを貰った。彼自身もガンで難しい大手術を受けたが今は回復して元気である。

「児玉隆也が書いた本が面白いよ」という情報をメールでくれた。
その返事が以下です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

貴兄のご教示ありがとうございました。

児玉隆也の『ガン病棟の九十九日』、アマゾンで取り寄せ読みました。驚いたことにこの書が書かれた1975年から43年経ったというのに患者の受けとめ方はほとんど変わりません。観察の鋭さ、巧緻な文章、奥さんとの会話などまさに名文家・児玉隆也の面目躍如でしょうが、結局、彼が書いていることは「ガンに魅入られた患者の死への恐怖」なのです。それを2018年の現在もぼくを含めたガン患者は笑い飛ばすことができません。

漠たる不安、忍び寄る死への怖れ、家族への気遣い・・・様々な制ガンの方途、ガン細胞発見の技術、最新の術式、制ガン剤の飛躍的進化などこの40年間に医学と医療技術は目覚ましい進歩をとげたというのに、です。事実、ガンに罹っても延命は著しく伸び、すぐ死ぬ人は少なくなってきました。ぼくに「ガンは治ります」「早く治ってまた一杯やろうよ」というメッセージを送ってきた知人、友人が少なくありません。でもガンは今も治らないんです。
ぼくが戸惑ったガン治療に対する疑念は児玉隆也が直面した「怖れ」「戸惑い」とほとんで変わっていない、ということです。ああ、これがガンなのか、とようやく理解するのに3~4か月を要しました。そして現在も解決方法はありません。副作用著しい抗ガン剤をただ飲み続けるだけ。止めたら「死ぬだけ」としか医師は言いません。
医師は医療技術の進歩を熟知していますし、ガンへ向き合ういろいろな制ガンの方途も昔に比べ飛躍的に開発されてきているのに現実に患者と向き合う時は「分かりません」と言い切ります。
確かに医療事故訴訟が増え、病院が必要以上に防衛的になっています。ですから「予見」的なことはほとんど口にしないし、逆に予見する場合は最悪のケースを例に出します。
ぼくのガンも最初、主治医は「ステージ4、昔なら余命3か月から6か月」と言い切りました。ぼくはその医師の指示通りに入院し、手術を受け、退院してからは大阪の大学病院へ治験治療に向かいました。その医師は日本で肝臓ガン治療で最高の技術を持っていると評判で、彼を知るぼくの親友の外科医も「北さん、それはベスト・チョイスだよ」と当初言いました。
そして事実、ガンの腫瘍マーカーは劇的に落ちてきているのにいつ治療が終了するのかを訊くと「分かりません」
今になってその治験治療が「(抗がん剤の効果が出ている限り)永遠に続く」と言うのです。そこでぼくは自己撞着に陥り「すごく落ち込んだ」わけです。茅ヶ崎から大阪へ通院するには旅費だけで1回、新幹線代とホテル代で2万5,000円はかかります。すでに50万円近くかかったでしょう。これからいつまで続くのか。何度聞いても「抗がん剤の効果がある限り」ず~っと続けると言っています。
児玉隆也が肺ガンに罹った時点から40年以上経って、医療技術は驚くべき進歩をしているのに患者に対してはほとんど同じ対応です。で、患者は戸惑い、死への恐怖が迫るのを実感する。そこが「ガン」という奴のややこしい、難しいところです。そして、以前書いた「黄金のワラ」が蔓延る余地を残しているわけです。

児玉隆也は『寂しき越山会の女王』を書いて有名になりましたが、ぼくは赤紙1枚で戦場へ狩り出されたお百姓やパン屋さんや庭木の職人、床屋さんらの人々を訪ね、戦場へ送られる将兵たちを丁寧に描いた『1銭5厘の横丁』の方が好きです。

ぼくが買った『ガン病棟の~』の古本には「16刷」とあります。売れたのですね。ガンは未だ「解けない方程式」だという事を知り、今は開き直っています。酒も止め、美味しくない食事を無理やり押し込め、時間がくればきちんと抗がん剤を飲み続ける。生きる、死ぬかを堂々巡りしないという覚悟です。

そんなぼくを多くの知人友人は「頑張れ」と声を掛けてくれる。
嬉しいじゃあないですか。ボタンが閉まらず棄てようと思っていたズボンがいま、ぴったり。ずいぶん痩せたなあ。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

北岡和義事務所

神奈川県茅ケ崎市在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

2018年11月
« 10月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

カテゴリー

アーカイブ

最近のコメント