湘南から東京・深川へ

長期戦覚悟で、大阪へ通っています。隔週、茅ヶ崎~大阪、新幹線通院です。以前にも書きましたが、ぼくはことし喜寿。親父は喜寿の祝いを正月に家族一同集まってやったらその月末に亡くなりました。
この歳になって大変なことになった、と思いながらも一方で「いい経験だ」との思いもあります。ジャーナリストだからこそでしょうね。そしてガンが発見されてこの1年、集中的に新しい情報がどっと流れ込んできました。新しい人脈も増えました。ガンのお陰です。
20日、CTとMRIを撮り21日定期検査・健診で、ガン腫瘍マーカーはちょっぴり上がりました。主治医も判断できかねるようで、ガン細胞は消えていないモノがあるようです。抗ガン剤は飲み続けていますが、年末年始は休薬にしていただこうと話しました。
ぼくが受けている治験治療は「抗がん剤+免疫ポイント阻害剤(点滴)」というダブルでガンに対処している世界でも例のない試みです。劇的にガンが消えた例が30%くらいで、まったく効かない患者が7割だそうです。
ぼくの場合、その30%に入っているようでしかも短期間でガンが劇的に消え(未だ一部体内に残っているが・・・)、「記録破りだ」と主治医は語っていました。
昨年12月9日、茅ヶ崎市の病院でガンが見つかった時、「ステージ4」、末期ガンと言われ、放っておけば「余命3か月から6か月」(後日、「ステージ3」と修正されましたが)と言われたわけですからそれが正しければすでに三途の川を渡っていたはず。お陰で年は越せそうです。
免疫療法は、まさにノーベル賞を受賞された本庶佑先生が発見された「PD-F」を阻害する新薬で、小野薬品の「オプジーボ」ではなく、アメリカのファイザーが開発した免疫ポイント阻害剤。いま話題の小野薬品が開発した「オプジーボ」ではなく、アメリカの製薬会社が開発した新しい阻害剤です。
抗ガン剤の投薬と免疫ポイント阻害剤の両方を同時に試みているのは珍しく、「全世界」がその効果を息をつめて見守っているそうです。マスコミは「オプジーボ」を「奇跡の新薬」と大げさに報道していますが、実際には肝臓ガンに「効く」患者は30%くらいと限定的で、幸いぼくはその中に入っています。
毎日新聞が11月6日夕刊で「オプジーボの実力は?」という見出しで1面から2面にかけて特集しています。「ノーベル賞で注目 オプジーボは夢の薬か」「がんの効果限定的」とあるように”夢の薬”は限定的、というのが正しいようです。
ぼくはこの記事を宿泊した鶴橋のビジネス・ホテルで読んだのですが、詳しく報じているので、それを主治医に見せると彼は「この記事が正しい」と言いました。
抗ガン剤の副作用はなかなか厄介で、その日の身体の具合によって違いますが、何と言っても食事が不味く、食べたくない。ということで痩せています。
でもご心配なく。ぼくは元気です。12月3日湘南から東京・下町に引っ越します。息子の一家のマンションの隣りの駅から歩いて7~8分、東京駅からバスで20数分です。地下鉄なら10分。洲崎という遊郭のあった跡が安いアパートになり今はマンション乱立の都心に近い深川です。気楽な居酒屋を見つけました。お立ち寄りください。

免疫療法

肝臓ガンの治験治療を受けて8か月が過ぎた。多くのガンは消え、腫瘍マーカーも劇的に改善している。ただしガン細胞は体内に生きている、と考えるべきだという。10月24日の定期診察でもマーカーの数値は横ばいだが、上がっていない。これは現在、実施している免疫療法が「ガン細胞を抑え込んでいる」と見るべき、というのが代診に当たった若い医師の見解だ。

すでに本ブログで書いたとおり「長期戦」を覚悟しているから驚くことはない。完全に「正常」となるかどうかは分からない。ただ正常値に近くまで腫瘍が小さくなっている、という事実で、どうやら越年できそうです。

昨日23日は神戸で友人と会食した。高校の同級生で、今回、ノーベル賞の受賞が決まった本庶佑(ほんじょたすく)博士の京都大学医学部の同期生。2,000人のガンを切った、という医師だが、彼が送ってくれたメールを以下に紹介する。

ここで彼が述べている治療費だが、ぼくの場合「治験」なので治療に要する全費用を製薬会社が負担してくれる。その上、1日9,000円の日当が支給される。

ちなみに過去8か月の治験治療に使った抗ガン剤と点滴の費用は軽く1,500万円を超えているようだ。(未だ市販されていないので実費の詳細は不明)

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北岡君

貴兄の受けている医療の効果は、これまでの医療界の常識を遥かに超えた画期的なもので、いつも感心しています。

昨年の12月に電話をいただいた時には本当に驚いたものでした。化学療法しか助からない…しかし、私の頭にある化学療法は癌が少し縮小したものも含め、半分も有効率がない。もし抗がん剤が有効でなければ、ふつう6か月、有効であったとしても完全消失は望めないから、よくて2年かもしれない等と全く一人よがりのことを想像していました。

 そして、まず6か月をお勧めしたのは、6か月してもあまり効果がなければ免疫療法をお勧めしたいと思ったからです。昨年の段階で、肝癌の免疫療法には保険がきかなく1千万円を遥かに超えていたので、自己負担を覚悟で医療を受けなければなりませんでした。新しい抗がん剤で少し様子を見てから次の治療に移っても遅くはないと思ったものでした。

いま,貴兄の現在の治療に抗がん剤とともに免疫療法が含まれていることを知り、現在の治療をぜひ続けるべきだと信じています。

 かって消化器外科医として癌に対応したとき、進行した癌では、普通に言われているよりも徹底した手術をおこなっていたにもかかわらず(少なくとも肉眼的には癌を疑うようなものはない状態)、そしてまた術後に抗がん剤を使用しているのに、2,3年で再発する人が多く、がん治療の限界に涙したものでした。

貴兄が受けてきた医療の効果は、10年前の医療界の常識からすれば。奇跡としか言いようのないほど素晴らしいものです。命を買うつもりで現在の医療をもう少し続けてくれることを心より願っています。

「生の永遠」を探す旅

ヒトはなぜ死ぬのか。

10月16日、「生と死」の不思議を科学的に解明しようという研究に没頭している分子生物学者・T教授夫妻と新幹線で北へ向かった。盛岡で降り、駅前の著名な韓国レストランで冷麺定食を食べ、盛岡城公園まで歩いた。南部藩の城跡である。石川啄木の歌碑があった。

<不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心>

啄木は死んでも彼が詠った詩は生きている。啄木の心は永遠なのだ。もう一つ。

花巻へ向かう途中、高村光太郎記念館にも立ち寄った。実際に彼が晩年、創作活動していたちょっと大きめの物置小屋のような荒れた陋屋が、周囲をぐるり取り囲むように新しい建物で保護されていた。この小屋とは別に大きな光太郎記念館があり、彼の作品も10点ほど展示されている。ここでも「光太郎の作品と魂」は生きていた。

同行してくれた盛岡在の友人の記者含め4人で会食した。「温泉」と言っても昔の湯治場。個室は6畳、室内にはテレビと炬燵があるだけ。一泊4,200円。同じ建物の居酒屋のような薄汚れた食堂で南部の酒とつまみと会話を楽しんだ。

友人のH記者はロサンゼルス特派員の時、知り合った。彼は後にロンドン支局長となり、仲間と取材したノーベル賞について、『ノーベル賞の舞台裏』という本を書いた。日本人が受賞するとどの国よりもメディアが大騒ぎする報道を揶揄、批判しているが、中でも見逃せないのはノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作に対する評価である。佐藤は安倍晋三首相の大叔父、祖父・岸信介の実弟。長期政権だったが、後日、ノーベル平和賞を受賞、「ブラックユーモアではないか」と国内でも批判の声が強かった。

同書は「『ノーベル平和賞 平和への100年』の著者の一人で歴史家、オイビン・ステネルセンが公式の記者会見で『佐藤氏を選んだことはノーベル賞委員会が犯した最大の誤り』とまで言い切った」と書いている。非核3原則を国会で提唱した佐藤がアメリカと核密約を交わしたことがバレたからだ。

万能細胞の人工栽培に成功した京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞を受賞した(2012年)事にも話が及んだ。その受賞にも医学界で毀誉褒貶が存在する。山中は記者会見で「まさに日本が受章したようなもの」と発言、日本では誰も問題にしなかったが、ノーベル賞委員会は激怒した、と言う。ノーベル賞は個人の研究、研鑽に努め、新しい科学の研究を前進させた実績に送られるもので「国家」に贈られるものではない。

東北へ向かう前日、東京で高校の同窓会があったが、参加者に「おめでとう」と言われて面食らった。彼女はぼくが「ガンによる死」から「生還」した、と喜んでくれたのだが、ぼくは一度も死んだことはない。ぼくはガンに罹っても生きているが、4人の学友がガンで死んだ。

 

 

ガン免疫療法の基礎研究でノーベル医学・生理学賞

9月26日の定期検診の際、主治医が、抗ガン剤を休薬すると腫瘍マーカーの数値が少し上がる、と言う。CT撮影もやったがガンらしい「影」が」映っている。ガン細胞が未だ体内で活動している証拠ではないか。「抗ガン剤を飲み続けるのが一番です」と主治医は言い、そのメカニズムを詳しく説明してくれた。

いま、注目されているのは「ANK免疫細胞療法」だという。京都大学名誉教授・本庶佑博士の名前を初めて耳にした。「本庶」という名前の漢字をメモ書きで書いてもらった。本庶先生は間もなくノーベル賞を受賞される、という話だった。著名な免疫の研究者である。

本庶博士の基礎研究から免疫療法が開発され、肺ガンなどの治療に成果をあげているという。定期の点滴などを終え茅ヶ崎市に戻った直後、スエーデンから本庶博士が本年度ノーベル医学・生理学賞受章の報が届いた。本庶博士の基礎研究がぼくのガンの治験治療の抗がん剤に役立っている。その科学的メカニズムは素人には難しくて簡単には書けない。勉強してから後日、報告する。

記者会見で印象的だったのは「教科書を信用するな。自分なりに『何故?』を考えて欲しい」という本庶博士の言葉。日大でもぼくは既成の教科書を使わず、パワーポイントでテーマごとに自分がレジュメを作り、学生に提示しながら話した。

パキスタンのイスラマバードで民宿を経営している督永忠子さんが帰国、10月3日、久しぶりにベトナム料理のレストランで会った。彼女は実父が大杉栄のファンで、大杉の像を実家に保管していた。今回の帰国でその像を墓前祭で大杉家に戻すことができた。

今、日本人観光客は皆無だという。督永にパキスタンへ行くことを約束した。

セコンド・オピニオン

2005年8月開設された「つくばエクスプレス」は全線58.3キロ、秋葉原から学園都市「つくば」まで20駅を45分で結ぶ。「流山おおたかの森」の次が「柏の葉キャンパス」である。急行だっため乗り過ごしてしまい守谷まで行った。戻って柏の葉で降り、タクシーに乗った。途中は緑の並木が続く真新しい街である。

ガンに罹患して初めてセコンド・オピニオンを求め、9月20日柏の国立ガン研究センターを訪れた。同行してくださったT先生は生命科学で「アポトーシス(細胞死)」を研究する科学者。知己の院長に先約を取っていてくださったので、待たされず肝臓外科医に会え、大阪の治験で得たガン情報を見せた。CTの画像を見て、驚異的にガンが消えていることを確認。外科的に手術をしても完治は保証できないという。現在の治験治療は最適で続けた方がいい、とのコメント。

通常、内科医と外科医ではかなり診断が異なるという偏見(?)があったからちょっと驚いた。大阪の大学病院で治験治療に入って7か月が過ぎた。定期検査で腫瘍マーカーはほぼ正常に戻っている、との診断は正しいが、でも抗ガン剤は続けるべき、という見解はぼくの主治医とまったく同じ。その肝臓外科医はガン医療の世界で著名な主治医を知っていた。

わずか10分くらいの面接で、コメント代が2万1,600円と高額だったが、現在の治療のあり方がベストチョイス、という専門医の見解を知らされただけでも良かった。

T博士と別れ、秋葉原に戻ると雨が降っていた。思わぬ疲れが出たらしい。気分が優れない。午後6時に約束していた高校の同級生との会食を電話で断り、東京駅まで行って茅ヶ崎へ戻る東海道線に乗り換えた。なんとなく虚しい気分が沸き上がって落ち込んだ。はっきりした理由は分からない。

沢木耕太郎の『キャパの十字架』を読んでいる。スペイン内戦を取材したロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」はピューリッツア賞に輝いた世界的に著名な写真だが、沢木はその1枚の写真に拭えない疑惑を抱き、スペインへの旅を始める。そして1936年に撮られた、銃弾に倒れる共和国軍兵士の写真が「やらせ」だった、という確信を持つ。しかも撮ったのはキャパではなく美しい恋人のゲルダ・タローではなかったか、という驚くべき指摘。

キャパ生誕100年の2013年、スペインのエスペホを訪れた沢木の、ジャーナリスト特有の違和感への拘りが感じられ面白い。1913年10月22日ハンガリー生まれのエンドレ・フリードマンが英語名「ロバート・キャパ」と名乗り、戦争写真家として世界的名声を馳せる。インドシナ戦争取材へ向かったキャパは1954年5月25日、地雷を踏み逝ってしまった。

そのベトナムも今や共産党が支配し経済成長を続けている。キャパの名声と戦争写真に隠された真実、キャパ、ゲルダという男女の愛と生と死。これもまたガンに似て真相は誰も分からない。

時評「銃規制強化へデモ」(2018年9月13日、静岡新聞)

静岡新聞に掲載されました。

静岡新聞の記事です。

 

DV(家庭内暴力)

京都・嵐山へ来たのは何年ぶりだろう。8月28日午後、JR嵯峨嵐山駅に降りた。駅前はよく整備されて清潔だ。ここから渡月橋まで徒歩で10分くらい。もっとも外国人観光客で溢れ、付近は雑踏のようで、近づく気になれない。駅の脇の喫茶店でKさんに会った。20年ほど前、DV(家庭内暴力)についての書を上梓した。

彼女は神戸大学を出て大阪のテレビ局入りし、ボロボロになって辞め、ニューヨーク大学に留学した。修士号を取得してそのまま在ニューヨークの邦字紙の記者となった。当時、O.J.シンプソン事件(1994年)が全米の話題となり、初めてDV(ドメスティック・バイオレンス)がマスコミをにぎわかせた。

O.J.シンプソンは人気のプロ・フットボール選手で世界的に有名なスターだった。彼の妻が殺されたことでO.J.シンプソンは逮捕され、その裁判が注目された。同時に家庭内で暴力が振るわれていたことが話題となって、DVが社会問題となった。

彼女は『家庭が壊れてゆく』という本を贈呈してくれたが、その後、帰国して執筆活動に入った。『夫が怖くてたまらない』(ディスカヴァー携書)、『子どもをいじめるな』(文春新書)など家庭内の暴力について出版、女の生き方、働き方について発言してきた。

その彼女が言う。DVは20年経っても無くならない、という。DV防止法はできたが、普通の社会はあまり変わらないそうだ。

ぼくは、ある人物の評伝を書くつもりで取材を始めたが、予期せぬところでDV問題にぶつかる。取材を進めてゆくと深刻な事情が分かってきた。表面には出てこないが、家庭内で不本意な暴力で子供たちと父親が対立している。それが会社経営に深刻なダメージを与えること必至な情勢なのである。

人間は他人には言えない悩みを抱いている。人生を追いかけているとそれが見え隠れする。表面は何ともないはずだが、事実は生命を脅かすほど事態が回復不能の如く進行している。彼女の話を聞きながら日本中の家庭で日常起きている「暴力」は根強く人々の安全を脅かせている。

ガンと似ているな、DVは。

 

方丈記

ぼくは「ガン共生の人間学」を『週刊ニューヨーク』紙に連載してきたが、ガンという病気にかかって確かに死生観が変わった。「死」は「生」なる者が近づいてゆく、のではなく、「死」の方から突然、やって来るものだという当然の事実。それが健康な人にはなかなか分からない。

ガンは「死に至る病」であり、昔、ガン腫瘍が発見されると医師は決して患者に真実を話さなかった。家族にだってウソを告げた。池田勇人首相が喉頭ガンだったことは死ぬまで伏せられた。記者会見で主治医は「前ガン症状」という実際にはあり得ない非医学的表現で「ガン」を否定した。

近年、生命科学者や医学者、臨床医の必死の努力と研究でガンになってもかなり延命させることができるようになった。

今ではガン告知が当たり前になっている。過去30年間にガン治療は大きく進歩し、抗ガン剤も副作用の少ないものが患者に投与されている。

ぼくの場合、「治験治療」という特殊な医療環境でガン治療に当たってもらっているから医師や治験コーディネーターの管理は結構厳しいものがある。

もちろん患者はいつでも「治験」から離脱できる権利を持っているが、離脱しても実際にどうすればいいのか素人には不知である。ガンの知識が全くないのだから現実として病院を離れることはできない。

「(治験を止める)権利はあなたにありますからいつでもやめられますよ」と若い医師は言いながら一方で、「再発したらあなたの責任で処理しなさいよ」という暗黙の“脅し”が含まれている。再発したらガンの成長は早いという。そして「生命」が奪われる。

前回書いた、生物の遺伝子に「アポトーシス」という「死」のメッセージを発する遺伝子があり、生物の細胞は自死するのだが、遺伝子が傷つけられたか、何かの拍子に死の機能が働かなくなり、死すべき細胞が死ななくなる。それがガンだという。

だからアポトーシスの「死の機序」を解明できればガンは治る、はずだ。

東京理科大学でゲノム創薬を研究している田沼靖一博士の『遺伝子の夢』(NHKブックス)には冒頭、鴨長明の『方丈記』が登場する。

ゆくかわの流れは絶えずして、

しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、

かつ消え、かつむすびて、

久しくとどまりたるためしなし。

 

「鎌倉時代の初めに書かれた『方丈記』の出だしには、万物の無常をみごとに描き出されている」と田沼は書き、「この言葉は、鴨長明の人生観、宇宙観」そのものであると同時に、「生きる物はなぜ死ぬのだろうか」という原初的な問いでもある。科学者が文学的に生物の“無常”を生々しく実感しているのである。

ぼく自身、ガンになってようやくその「死の意味」の不可思議な現実に気づき、どうしようもない死の真実に慄くのだ。

「死」は「生」にとって絶対である。考えてみれば「ガン」はごく自然の死の現象の一つであり、死があって生がある、という真実にぼくらはどれほど現実感が持てるのだろうか。

われわれはうたかたのごとくはかなく生きている。だからこそ精一杯、前向きに仲良くガンと共生し、死ぬまで溌溂と生きようではないか。

「人間は一人ひとり、唯一無二の存在として限られた時間を生きています。そして齢を重ねることによって、自分のなかに時間と記憶を堆積し、思考と精神をとぎすますことができるのです。つまりアイデンティティ(identity、個別性→個性)を成熟させることができるということです。「老い」とは、このアイデンティティを追求し認識することではないでしょうか。(田沼靖一著『ヒトはどうして老いるのかー老化・寿命の科学』(ちくま新書)

ガンになり田沼の知遇を得た、というのもぼくの楽しみになっている。

長期戦

沖縄県の翁長雄志知事が8月8日亡くなった。68歳という若すぎる死である。すい臓ガンの手術を終えた後だった。抗ガン剤で頑張った方が良かったかもね、と誰かが言った。言ってみても遅い。沖縄を一つにまとめ”オール沖縄”として辺野古移転を阻止しようと頑張った。

9月の知事選は翁長知事の弔い合戦の様相を見せるだろう。自民党はそこを警戒しているとの報道。翁長雄志という政治家、本土には見られない骨のある筋を通した政治家だった。改めて心底より哀悼の真を捧げたい。

8月14日夜、恵美須のゲストハウスの亭主と話す。彼は外出の際、スマホ一つ持ち歩くだけだそうだ。若者の生活にスマホが全的に入り込んでいる。ぼくの時代は終わった、と痛切に感じる。隣でスマホをいじっていた黒人はフランス人だそうだ。もちろん宿泊客は大半が外国人。

翌朝、病院へ行って定期検査と診察を受けた。ガンマーカーは正常に戻っていることは前回と同じ。この2週間、抗ガン剤を休薬したため、少しマーカーが上がった、と主治医は言う。

「このまま、続けるのがベストですがねえ」と主治医は言う。「離脱するとしますと・・・」と医師は治験治療からの「離脱」という言葉を使った。しかし長期戦を覚悟しているぼくは「最善」という続行を選択した。当分、大阪通院は続く。因果な病気にかかったものだ。そんなぼくに「盆」も「正月」もない。

食欲はまあ、食べられるものは何でも食べる。

茅ヶ崎へ戻ったらカリフォルニアの友人からオレンジがどっさり届いた。美味しい。向かいのお宅におすそ分けした。

北岡和義事務所

神奈川県茅ケ崎市在住

E-mail: kazuyoshi.kitaoka@gmail.com

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